2004年9月、当時3歳だった長男が「インフルエンザ菌b型(Hib)による細菌性髄膜炎」に罹患しました。症状は発熱と嘔吐のみ、しかし発熱からわずか36時間後には、「今晩一晩が山」という深刻な状態に陥りました。
幸い、長男は後遺症を負うこともなく回復することができましたが、当時、日本以外の多くの国々では侵襲性Hib感染症を予防する「ヒブワクチン」が導入され、Hibによる細菌性髄膜炎は「過去の病」であったことを後に知り、ヒブワクチンの早期承認と定期接種化を求めて患者会活動に参加しました。
20年のワクチン・ギャップ
アクトヒブが日本で薬事承認されたのは2007年1月ですが、フランスでは1992年に、米国では1993年に承認されています。それぞれ日本より15年、14年も前の承認です。これはアクトヒブに限ったことではなく、1990年代以降、欧州や米国では様々な新規ワクチンや混合ワクチンが承認されてきたのに対し、日本では20年近く新たなワクチンはほとんど導入されてきませんでした(表参照)。これが「20年のワクチン・ギャップ」です。
この間、他の国々であればワクチンで防がれていた疾病(VPD:Vaccine Preventable Diseases)に日本の子どもたちはさらされ続けてきたのです。
表:ワクチンの承認状況比較
日本 | 米国 | EU | |
1985 | B型肝炎(EUは1981年、米国は1982年) | – | – |
1986 | – | – | MMR(3種混合) |
1987 | 水痘(生) | Hib(ポリリボシルリビトール燐酸:PRP) 不活化ポリオ(IPV) |
遺伝子組み換えB型肝炎、肺炎球菌、 Hib(破傷風トキソイド結合体) |
1988 | 肺炎球菌(米国は1977)、 遺伝子組み換えB型肝炎、MMR(3種混合)(米国は1971) |
– | 腸チフス、不活化ポリオ(IPV) |
1989 | – | 遺伝子組み換えB型肝炎 | DT-IPV(3種混合) |
1990 | – | Hib(髄膜炎菌C群外膜タンパク結合体) | – |
1991 | – | aP(無細胞百日咳)(日本から導入、日本は1981) | – |
1992 | – | DTaP(3種混合)、日本脳炎(日本から導入、日本は1976) | Hib(乾燥ヘモフィルスb型[破傷風トキソイド結合体])、DTaP(3種混合)、不活化A型肝炎 |
1993 | – | DTaP-Hib(乾燥ヘモフィルスb型[破傷風トキソイド結合体]) | 水痘(生)(日本からの技術導入)、DTP-Hib(4種混合)、DTP-IPV-Hib(5種混合) |
1994 | – | ペスト | – |
1995 | 不活化A型肝炎 | 水痘(生)(日本からの技術導入)、不活化A型肝炎 | – |
1996 | – | Hib-B型肝炎(2種混合) | |
1997 | – | – | DTaP-IPV-Hib(5種混合) |
1998 | – | – | DTaP-IPV(4種混合) |
1999 | – | – | DTaP-IPV-Hib-HB(6種混合) 7価(コンジュゲート)肺炎球菌(小児用) |
2000 | – | 7価(コンジュゲート)肺炎球菌(小児用) | – |
2001 | – | A型-B型肝炎(2種混合) | – |
2002 | – | DTaP-IPV-B型肝炎(3種混合) | Typ-HA(2種混合) |
2003 | – | 経鼻インフルエンザ(生) DPT(成人用) |
– |
2004 | – | – | – |
2005 | MR(2種混合) | MMR-水痘(4種混合) 髄膜炎菌(4価)(成人用) |
髄膜炎菌(4価)(成人用) |
2006 | 肺炎球菌(抗原・製法変更) | ロタウイルス HPV(6、11、16、18型コンジュゲート) 帯状疱疹(生)(60才以上) |
MMR-水痘(4種混合) ロタウイルス HPV(6、11、16、18型コンジュゲート) 帯状疱疹(生)(60才以上) |
2007 | H5N1インフルエンザ | H5N1インフルエンザ 髄膜炎菌(小児用) |
H5N1インフルエンザ |
2008 | Hib(乾燥ヘモフィルスb型[破傷風トキソイド結合体]) | DTaP-IPV-Hib(5種混合) DTaP-IPV(4種混合) |
– |
2009 | 細胞培養日本脳炎 HPV(2 価) |
新型インフルエンザA | 新型インフルエンザA 沈降10価肺炎球菌結合型ワクチン |
2010 | 7価(コンジュゲート)肺炎球菌(小児用) | 肺炎球菌(13 価) 小児用 | – |
2011 | HPV(4価) ロタウイルス(1価) |
肺炎球菌(13 価)成人用 | – |
2012 | ロタウイルス(5価) 不活化ポリオ (ソーク株) 沈降精製DTPーIPV(セービン株) |
髄膜炎およびHibワクチン | 髄膜炎菌(4価) |
2013 | 肺炎球菌(13 価) | – | B群髄膜炎菌ワクチン |
2014 | 髄膜炎菌(4価)(成人用) 沈降精製DTP-IPV(ソーク株) |
HPV(9価) B群髄膜炎菌ワクチン |
HPV(9価) |
2015 | 沈降10価肺炎球菌結合型ワクチン | – | – |
2016 | 沈降ヘモフィルスb型 ワクチン(無毒性変異ジフテリア毒素結合体) 乾燥弱毒生水痘ワクチン(成人の帯状疱疹) |
コレラワクチン(経口生ワクチン) | – |
2017 | 乾燥組換え帯状疱疹ワクチン | DTaP-IPV-B型肝炎-Hib(6種混合) | |
2018 | 乾燥組換え帯状疱疹ワクチン | DTaP-IPV-B型肝炎-Hib(6種混合) | デング熱ワクチン 乾燥組換え帯状疱疹ワクチン |
2019 | 乾燥組織培養不活化狂犬病ワクチン | エボラウイルス感染症ワクチン デング熱ワクチン |
エボラウイルス感染症ワクチン |
2020 | HPV(9価) | ND | ND |
何故、ワクチン・ギャップは生じたのか~
「世界最大の悲劇、それは善意の人の沈黙と無関心」~
「世界最大の悲劇、それは善意の人の沈黙と無関心」、米国のマルティン・ルーサー・キング牧師の言葉です。何か良く無い出来事が起きた時、私たちは往々にして誰か悪者がその出来事を引き起こした、と思いがちです。しかし、意図してワクチン・ギャップを生み出して子どもたちを不幸にしようと考えて行動した人はいません。それではなぜ、日本にはワクチン・ギャップが生じてしまったのでしょうか。
1989年にMMRワクチンが定期接種として導入されましたが、接種後の無菌性髄膜炎の発生が社会問題となり、1993年にMMRワクチンは定期接種の対象から外されます。現在は、無菌性髄膜炎を引き起こしたムンプスワクチンを外したMRワクチンに切り替えられています。この出来事を起点に空白の20年がスタートするのですが、私はその大きな理由の一つは、「新たなワクチンの導入を求める国民の声が無かった」からだと考えています。
実は、私たちがヒブワクチンの早期承認や定期接種化を求めて活動するよりも以前に、厚生労働省の予防接種部会(現在は厚生科学審議会・予防接種・ワクチン分科会に改変)ではヒブワクチンの必要性について専門家から言及されていましたし、国会議員の中でも新規ワクチンの導入の必要性について議論がなされていました。専門家も行政も政治家も、日本のワクチン・ギャップに気づき、解消の必要性を認識していたにも関わらず、予防接種を受ける当事者である私たち国民が、自分たちが受ける予防接種に関心を持たず、声を挙げていなかったのです。予防接種は、乳幼児だけのものと思われがちですが、誰もが乳幼児期を経て大人になるのですから、全ての国民が当事者であるのです。その当事者が関心を寄せず要望もしないのであれば、政策が前に進まないのは、むしろ当然のことです。
当事者の声が政策決定に反映されるということ
私たちの活動と軌を同じくして、ヒトパピローマウイルスワクチン(HPVワクチン)の定期接種化を求める声が高まりました。こうした声に応える形で、2013年、ヒブワクチン、小児用肺炎球菌ワクチン、HPVワクチンの3つのワクチンが定期接種の対象となりました。MMRワクチン以降、25年を経て新たなワクチンが定期接種化されたのです。同時に、ワクチン・ギャップを埋めるべく予防接種法の改正も行われました。以降、B型肝炎、水痘(みずぼうそう)、ロタウイルス感染症と定期接種化が進み、またポリオワクチンも経口生ワクチンから不活化ワクチンへと切り替えられました。当事者の要求が政策を動かした、大きな事例と言えるでしょう。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)にかかるワクチン政策においても、当事者の声は活かされています。2009年に生じた新型インフルエンザ(A/H1N1)の際の教訓を反映し、「ワクチンの有効性と安全性」はもちろん、「誰が接種できるのか」、「どこで接種できるのか」をはじめとする情報提供は格段に明確かつわかりやすく行われています。私自身も厚生労働省が2010年に開催した新型インフルエンザ(A/H1N1)対策総括会議で接種を受ける当事者の立場から意見を述べさせていただきましたが、様々な方々が当時の政策や対応について、反省点や改善点を指摘し、当事者としての要望を伝えていたことが今回の迅速なワクチン接種につながったと考えています。
予防接種施策に限らず、医療政策は医療を受ける当事者、当事者を支える立場からの声が無ければ、そのスピードも内容も不十分なものにならざるを得ません。当事者の声が不可欠だからこそ、その質を高め責任を持って発信する力、そしてその声を確実に政策立案につなげていく仕組みが必要です。PPCIPの取り組みがこれらの大きな一助になることを期待しています。
2021年9月22日掲載