1.PPIの幕開け
創薬のプロセスに、患者や市民の声を取り入れていこうという取り組みは1990年頃から欧米を中心に進められてきましたが、我が国においても、AMED(Japan Agency for Medical Research and Development:国立研究開発法人日本医療研究開発機構)で「患者・市民参画(PPI)ガイドブック ~患者と研究者の協働を目指す第一歩として~」がまとめられて以来、製薬企業、臨床研究グループ、アカデミアなどでも様々な取り組みが始まっています。
PPIとは、Patient and Public Involvementの略で、「患者・市民参画」と呼ばれています。AMEDがまとめたガイドブックでは、PPIの定義を「医学研究・臨床試験プロセスの一環として、研究者が患者・市民の知見を参考にすること」と定義をし、ここでいうところの「患者・市民」とは、「患者、家族、元患者(サバイバー)、未来の患者を想定している」としています。このように、研究を民主化、あるいは、社会協働化していくことにPPIの意味はあります。
まだその効果が定かではない革新的医療においても、何が「良い薬なのか」、何が「良い医療機器、あるいはプログラムなのか」については、その評価の物差しを社会と共有することが大切です。とりわけ、国民皆保険制度の下、医療技術やその開発過程においても国税が投入される我が国においては、研究意義の説明責任やプロセスの透明性確保という視点からも、PPIは待ったなしの取組になっています。つまり、これからの研究は、社会に共感され、社会から賛同を得るようなものこそが高く評価されていくということです。
少子高齢化の只中にある我が国においては、国民皆保険制度の持続性確保という視点からも、効率化や省略化を進める一助として費用対効果評価などの仕組みも導入されつつあり、PPIはより重要になっています。
2.PPIからHTAへ
「経済毒性(Financial Toxicity)」という言葉が登場するなど、国民皆保険制度や高額療養費制度があるとはいえ、薬価の問題は私たち患者の生活にもじわじわと影響を及ぼし始めています。加えて、2020年から感染拡大を続けている新型コロナウイルス感染症の予防対策や感染拡大の影響により、経済状況は今後悪化していく可能性があります。こうした世界中でおきた社会の激動は、社会保障費の削減、薬価制度など医療政策の改訂などにもつながるかもしれません。新型コロナウイルス感染症拡大による医療崩壊は、臨床現場への直接的な影響だけではなく、世界的な経済不況にともなう医療政策の崩壊へとつながり、救える命が救えなくなるという事態にもつながる可能性があり、これからの動向に私たち患者は注視をしていかなければなりません。
図1は、転移性乳がん患者のQOL調査に関する過去8年間、132本の論文を再集計したものですが、この解析から、患者のEQ5Dスコアは下がり続けていることが分かりました。EQ5DはHTA(Health Technology Assessment、医療技術評価、以下、HTA)算出には欠かせない指標のひとつですから、スコアが下がっているということは新薬の評価にも影響を及ぼすでしょう。このように、新薬が登場し続けたからといって、患者の生活の質は必ずしも向上しているとは限りません。
では、なぜこのような結果になったのでしょうか?あくまでも患者として感想ではありますが、外来中心のがん医療により医療従事者との接点が少なくなったことが大きいと思っています。薬物療法などによる副作用に対するサポーティヴケアの充実やアドヒアランス向上といった政策だけではなく、介護、就労など生活への影響に対する政策の充実も、革新的医療の推進には欠かせません。つまり、これからの医療は「医学的に治す」ことだけを目標にするのではなく、「社会的に活かす」ことも求められているということです。
HTA導入は、「これからの日本の医療の姿や社会のありようを考えるきっかけ」になると私は考えます。だからこそ、その議論の中に、当該疾病を有した患者の声を組み入れていただきたいのです。
■図1:転移性乳がん患者のEQ5Dスコアの変遷(参考文献1)
3.PROからPPIへの循環
HTAプロセスの中に患者・市民の声を取り入れていく手段として、医薬品・医療機器の評価に、患者の声を活かした直接評価(PRO:Patient Reported Outcome:患者直接評価、以下、PRO)があります。これらの評価は、「患者でなければできない評価」であり、臨床評価とはしばしば乖離を伴うものです。
規制当局による後押しもあり、欧米では薬の評価にPROが重視されるようになっています。近年では、このデータを患者の療養生活の支援ツールに還元したり、治療の意思決定支援の参考データとして活用するようにもなっています。さらに、データをもとに、患者に対して支援を介入することで、患者のQOLが向上したり、救急外来の利用が減少したり、また、OS(Overall Survival:全生存期間)が伸びるといった研究成果も出てきています。また、こうしたデータの活用にあわせて評価やデータ収集に必要なデバイスやプログラムの開発も進められています。
我が国では、まだこの分野における保険収載の道筋や評価システムについては、これからの開発が期待される領域です。地域差なく、また疾病差、患者の声の大小などに関わりなく活かし、還元していくための産業領域を越えた体制構築が急がれます。
4.Nothing About Us Without Usに込められた思い
日本において革新的医療政策を進めていくためには、①財源配分の効率化の推進、②医療の最適化の推進、③イノベーションに対する適切な評価、という3つの柱が必要と考えています。そして、その始まりは、患者・市民参加による「議論の場づくり」にあります。
ポリファーマシーや残薬、国民の受療行動の変容など、日本には削減すべき無駄なコストがまだまだたくさんあります。患者も、不要な副作用はなるべく避けたいですから、新薬の開発のみならず、「RIGHT PATIENT、RIGHT TIME、RIGHT DOSE(適切な患者に、適切なタイミングで、適切な量の治療を行う)」ための研究なども必要です。また、コストカットだけではなく、治療と職業生活を両立するための仕組みづくりなど、患者や家族の受療に伴う逸失損益を減少させることも大切です。日本には、まだまだやれる、やるべき策がたくさんあります。
患者・市民の声を創薬の最初の段階から取り入れていくこと、また、その場で、多様性ある患者の声を届けることができる代表性を有したpatient expertsの育成も大切です。日本では、PPI―JAPAN(一般社団法人ピーピーアイ・ジャパン)が、EUPATI(The European Patients’ Academy on Therapeutic Innovation)と提携をして、ようやく活動をスタートしました。この輪の中に、様々なステークホルダーが集えることを期待しています。
「Nothing About Us Without Us(私たちのことを抜きに、私たちのことを決めないで)」という言葉は、障害者の権利に関する条約(仮称:Convention on the Rights of Persons with Disabilities)の議論の中でも基本的な考えとして位置づけられましたが、これは、研究開発においても欠かすことができない根源的なテーマです。この言葉を忘れることなく、イノベーションが進むことを願っています。
参考文献1:F.Cardoso, et al., Global analysis of advanced/metastatic breast cancer: Decade report(2005-2015),the Breast (2018)131-138
2021年1月12日掲載