【気づき】
「若尾さん、残念ながら乳がんです」
これは、乳がん告知の際に主治医から告げられた忘れられないフレーズです。2001年のことでした。そして、この言葉は私が医療について深く考えるきっかけとなりました。
実は、乳がんの告知を受けるまで、医療において医療者と患者は対等な関係だと思っていたし、医療政策は患者目線で策定されていると思っていたのです。しかし、いざ自分自身が命の終わりを突きつけられたような状況になったとき、医療従事者と患者の対等性は幻覚だったと実感しました。それは、私自身が主治医やその他の医療従事者の前では卑屈になっていることに気づいたからです。理由はわかりません。でも、とても対等に向き合えるような状況ではありませんでした。心は千々に乱れ、何から考え・整理していいのかわからない状況で、落ち着いて突然のがん告知を冷静かつ理性的に理解し受け止めることはできませんでした。「自己選択」、「自己決定」、「自己責任」という言葉だけが頭の中をぐるぐる回っていました。このような状況で最適・最善の自己選択、自己決定ができるわけがありません。
【なってみなければわからない】
当事者になってみると、次々にわいてくる不安や困りごとに翻弄されるのが当たり前なのだと思い知らされました。ではどうすれば良いのか・・・。
「当事者の声を届けなければいけない」と思いました。声を届けないと何もなかったことになります。では、小さな一人の声を、一個人の声ではなく「患者の声」とするにはどうしたら良いのか。また誰に届けたら良いのか。皆目見当もつかない中でしたが、まずは第一歩を踏み出してみようと思いました。そのために、報道や行政機関との連携が必要になる・・・。
そう考えたのが2004年のことでした。
【本人の意向を十分に尊重する】
日本の「当事者主体のがん対策」はこの頃から自然発生的に各地でふつふつと動きが感じられるようになっていました。このうねりはいくつかの渦となり、国を動かし、がん対策基本法成立となります。2006年のことでした。そして2007年には法の施行とともに「がん対策推進基本計画」が、法に明記されたとおり、当事者を含めた協議会委員によって策定され、国を動かし、都道府県に波及し、当事者参画による都道府県のがん計画策定となり、地方自治での法ともいえる条例策定につながっていきます。その動きはさらに加速化され、今やがん対策は、当事者なくして策定することはできません。これらの動きはすべての対策におけるロールモデルです。
【がん対策だけではなく】
2016年2月のことです。私は、急性T細胞性リンパ性白血病となりました。成人としては非常に希な血液のがんに罹患し、造血細胞移植を行いました。当事者の意向を十分に尊重したがん治療を実体験することができました。そうです、がん治療環境は15年前とはずいぶん違っていたのです。私自身が変わったこともあると思いますが、がん治療環境自体が、確実に当事者の意向を尊重する体制になっていると感じました。あらためてがん治療環境の歴史を振り返える機会を得たように思いました。
そんなとき、希少疾患の患者に付き添って診療に立ち会った親族から、次のような言葉を聞かされ唖然としました。「がん治療をする先生はフレンドリーでいいわねぇ。患者の声に真摯に耳を傾けてくれているようだし。私たちの疾患は、主治医のご機嫌を損ねると、たちまち診察室から追い出されてしまうの」。
患者目線の医療政策の実現。この目標のアウトカムは、「すべての患者が、それぞれの診療分野において、患者目線での医療が行われていると感じることができる状態」になっていることです。一朝一夕では実現しないアウトカムかもしれませんが、必ず達成できると信じ、それぞれが同じ目標に向かい、できることを実行し続けられたら良いなぁと思います。
2022年1月12日掲載