薬剤を含め医療技術の進歩は著しい。逆にいえば、この分野ほど消費者ともいえる生活者と、提供者ともいえる医療者の間の情報格差が大きい分野も少ない。
特に近年では、①製薬であればゲノム技術、あるいは再生医療といった理科系の研究者や医師であったとしても、なかなかキャッチアップするのが難しい領域において革新的な薬剤や製品が生まれている。さらには、②デジタルセラピューティクス(治療)ということで、XR*1を使って患者の治療を行うといった取り組みもなされるようになりなってきている。これは、人体に直接働きかけるという生物学的なアプローチのみならず、人の認知に直接働きかけるような脳科学的なアプローチも産まれてきていると言い換えてもいいだろう。
このような医療技術の進歩に、生活者は翻弄されるしかないのであろうか。筆者は必ずしもそうではないと考えている。
先に技術の進歩を二つに分けて説明したが、前者①においては確かに生活者というか患者の関与する部分は少なかったかもしれない。例えば、病気の治療薬を開発するといった点に患者がアイデアを出そうとしても、述べてきたような知識量の不足からアイデアは出しにくかった。
しかし、後者②の認知的なアプローチについてはどうであろうか。認知的というと厳しいかもしれないが、経営学の用語を使えばマーケティングアプローチといえるかもしれない。
さらに細かく言えば、この後者②においては技術の進歩の流れが二つあるのではないかと考えている。一つは既に先ほど述べたような最先端のアプローチであって、認知に直接働きかけるといった高度なものが一つある。こちらにおいても、認知自体は患者がしているわけで、例えばうつ病に対して VR の製品を考えようといった時には、その製品が使いやすいかどうか、といった点もマーケティング上重要になり、逆に言えば患者起点のイノベーションが生まれやすいということになる。
もうひとつのデジタル化の動きは、純粋に言えばセラピューティクス(治療)ではない。こちらは、最近のマーケティングの考え方からいえば、ジャーニーをいかに作り出すかという話になるであろう。
ここにおいては、まさに患者というか、もはや病気だけではない生活全てをこのジャーニーと捉えれば、生活者こそが起点になる。
医療界は、こういったアプローチに弱かったと言わざるを得ない。例えば筆者は医師ではあるが、診断学には、ある条件で患者が目の前に現れる、その患者に検査や問診触診などが行われ、その時点での患者状況をいわば水平断して診断をつける形になる。
もちろん、診断をつける前には多くのストーリーがあり、医学界でも「後医は名医である」などといった言葉がある。これは、いろいろな症状が出揃ってくれば病気の診断が容易になり、結果的にあとで診察した医師が確定した診断ができるので名医になる、ということを意味する。
しかし、ここでいっているジャーニーはそういったことではない。例えば、がん患者が、がんと診断される前を考えてみても、癌をその患者が疑ってから、どの医師に受診するのか、どこの病院に行くのかといったことで悩みは尽きないであろう。またがんと診断された後でも、どのように自分がなっていくのか、どのような治療を今後受けていくのかわからないなど、わからないことだらけになる。極論すれば何が分からないかもわからない。
こういった患者の一連の行動をジャーニーだと捉えれば、このような流れを記載している医学書は、寡聞にして私は知らない。一方、ブログなどで、患者が、たとえば「胃癌に対する闘病記」といった記事を多くアップしているが、これはもちろん単なるケースレポート、それも患者側からの客観性が乏しい物語だということで、学問的には評価されていなかった。
しかし、AI によってこういったストーリーの分析が進めばどうだろうか。一定の傾向が分かったり、未来の予測もできたりするかもしれない。
何よりも、患者が何を思ったか、何を感じたかというジャーニーに重点を置かなければ、例えばガンのように予後が長くなっている疾患に対しての適切な対応ができるとはいえないだろう。また、政府も患者の経験、経営学ではPX*2というが、こういった考えを診療報酬に取り入れることも必要ではないか。
これは一例に過ぎないが、やはり今後の医療というものを患者起点で考える必要性はより増しており、「事件は“会議室”で起きてるんじゃない! “現場”で起きてるんだ!!」ではないが、「事件は患者に起きており」、そこに様々なことが起き、ひいてはイノベーションが起こるのではないかと考えている。
*1:XRとは、一般的に「VR(仮想現実)」「AR(拡張現実)」「MR(複合現実)」といった現実世界と仮想世界を癒合する画像処理技術の総称。
*2:PX(Patient Experience)は、日本語では「患者経験価値」と定義される。
2020年11月10日掲載