小黒 一正
法政大学経済学部 教授

患者本位のデータ駆動型・医療の実現に向けて

私の専門は財政・社会保障で、最近は医療財政や技術革新を含むその関連制度も深く研究しています。年齢的にも50歳に近づき、身近な友人が癌にかかるケースも増えてきていますが、公的医療保険で収載された新たな治療方法で回復した友人もいます。このような状況のなか、患者本位の医療を実現する必要性を改めて認識し、その鍵は医療分野のDX(デジタルトランスフォーメーション)が握っていると確信しています。
政府もこの認識をもち、現在の菅義偉・新政権は「デジタル庁」の創設を最重要政策に掲げています。しかしながら、デジタル政府を推進する場合、民主主義との関係で本当に重要なことは何でしょうか。それは、政府が保有するビッグデータの開示のほか、プラットフォームやクラウド・コンピューティングといった最新のデジタル技術を利用し、行政の透明性を高め、選挙権を有する国民がより適切な統治や判断ができるように支援することです。
患者や家族を含むプライバシー権の保護に対する配慮は前提ですが、より適切な統治は行政サービスの構造転換にも繋がります。例えば、政府が深く関与する医療サービスの領域において、患者本位のデータ駆動型・医療を実現するためには、現在のところ、以下に掲げる2つの政策の推進が重要となると考えています。
第1の政策は、公的医療保険が収載する診療行為や医薬品の全体像に関する徹底的な可視化です。新たな革新的かつ有効な医薬品が開発あるいは治療方法が確立した場合、できるだけ公的医療保険に収載した方が望ましいですが、保険財政の財源に限界がある以上、その全てを収載することは不可能です。革新的かつ有効な医薬品などの保険収載のためには、患者の視点に立ち、有効性が低下した医薬品などの給付範囲を見直すことが、難病や希少疾患を抱える患者などの医療助成の拡充にも繋がります。特に給付範囲を見直す際は、守るべき領域を明らかにしながら、改革の優先順位を定めることが最も重要です。

図表:年間売上金額×患者あたり年間薬剤費

(出所)拙著「日本経済の再構築」

例えば、医薬品のケースで考察してみましょう。図表の縦軸は「医薬品の年間売上高」(Ⓐ)、横軸は「患者1人当たりの年間薬剤費」(Ⓑ)であり、各プロット点は年間売上高が200億円以上の薬価収載98製品を表します。また、図表を4象限に区分し、右上の領域を1、その左側の領域を2、領域1の下側を3、その左側を4とします。さらに、この図表における各プロット点(98製品)の売上合計は約4兆円、領域1と2の売上合計と領域3と4の売上合計が各々約2兆円となる売上高の閾値が492億円であるため、その部分に水平線を描いています。また、高額療養費制度において、年収370万円の自己負担限度額が月額5.76万円であるため、平均年収の自己負担限度額を年間で64万円と設定し、領域1と3、領域2と4を区分する垂直線を描いています。
このとき、最も改革の優先順位が高い領域は「領域2」(患者1人当たりの年間薬剤費が小さいが、売上高が大きい領域)となり、改革の優先順位は「領域2>領域4>領域1>領域3」という順番になります。なぜならば、改革を進める場合、財政的リスク保護の観点から、家計でも負担を吸収可能なⒷが小さい医薬品から優先的に改革を進めるのが望ましい一方、Ⓑが同じ場合はⒶが大きい医薬品から改革を進める方が、新たな革新的かつ有効な医薬品に財源を捻出できるからです。領域2は湿布などが該当し、領域3はキムリアなどの難病・希少疾患の医薬品が該当するケースが多いことが分かります。
これは一例であり、公的医療保険が収載する診療行為についてもその全体像の可視化を行い、何を守りながら改革の優先順位をどう定めるのか、国民(患者)的な議論を深める必要があります。その上で、国民(患者)が利用できる革新的かつ有効な医薬品や治療方法の選択肢を増やす努力が重要でしょう。
第2の政策は、医療データに関する患者の利用権の確立です。この関係では、拙著『日本経済の再構築』(日本経済新聞出版社)で説明する「情報利用権」(仮称)の法制化が重要な鍵を握ります。アメリカのGAFAや、中国のアリババ等に対抗するため、いま日本では「情報銀行」構想が進展していますが、個人が自らの医療データを情報銀行などに預けて、保管・管理するためには、医療機関等が保有するパーソナルデータを引き出し、(情報を共有する)情報銀行に移転する必要があります。
その際、筆者が提案する「情報利用権」は、医療機関のほか、それ以外の予防やヘルス事業に関与する別の事業者やサービスのため、機械判読可能な形式でデータをリアルタイムで情報銀行に移転することを可能とする権利で、欧州(EU)の「データポータビリティー権」に近い概念ですが、パーソナルデータを生成する企業にもデータ移転で個人が得た報酬の一部を返すことを義務づける点などが異なります。
日本でも、個人情報保護法の改正(2017年施行)により、パーソナルデータの開示が企業に義務付けられていますが、欧州(EU)のデータポータビリティー権と比較すると、手続きが煩雑で使い勝手が極めて悪いのが現状です。このため、日本では、個人が自らのデータを開示請求し移行するコストが大きく、情報銀行にパーソナルデータを預けるときのハードルが高くなっています。
また、医療機関を含め、企業の多くで「データポータビリティー権」に否定的な理由は、データを移転してもメリットが何もないためです。この問題を解消するためには、パーソナルデータを生成する企業にもデータ移転で個人が得た報酬の一部(例:数パーセント)を返すことなどのルールが必要であり、その義務づけを盛り込んだものが「情報利用権」です。報酬の一部を受け取ることができるならば、情報銀行と協働しながら、データを生成する企業もデータ移転をしやすい環境整備を行うインセンティブが生まれるはずです。
また、国民(患者)も自らの医療データを含むその他のヘルスデータを保有したいという誘因も強いはずであり、医療機関や関連産業などが保有するデータの移転をリアルタイムで円滑に行うためには、移転対象となるデータ形式の標準化を図るとともに、民間主導により、本人の指紋認証など、いくつかのセキュリティをかけながら、個人の指示に従ってボタン一つでデータ移転や共有が可能となるスマホのアプリ等の開発も望まれます。
いずれにせよ、患者本位のデータ駆動型・医療における真の目的やコアは何か、その徹底的な議論が必要なことは言うまでもありませんが、既に一定の方向性があることは明らかであり、医療分野のDX実現に向けて、患者さんの声を含め、我々の叡智を結集すれば、新時代の医療体制を構築できると信じています。

2020年11月25日掲載