最善を決めるのは誰か?
医療ニーズが複雑化、医療も高度化する中、患者の抱える課題も複雑かつ多様になっています。専門特化することで発展してきた近代医学ですが、医学だけで現在の患者の複雑な課題を解決することは難しく、患者にとって最善な治療とは何かを医師だけが決めることには限界があります。
特に慢性疾患の場合は、患者自身の価値観やライフスタイルによっても治療のあり方は大きく変わるでしょうし、医学的な視点だけで何が最善の医療かを決めることはできないでしょう。Q O Lも重要視されるようになっていますし、そもそも患者が求めているのは、治療そのものではなく、「自分らしく生きたい」、終末期のケースでは、自分の望む場で人生をしまいたいというケースもあるでしょう。そうした社会情勢のもと、臨床現場においては患者参加型の医療、患者の自己決定権が重要視されるようになっています。
政策と「価値」
同様に、保健・医療政策(以下は、医療政策)でも、世界的には、患者・市民の声を届けることが求められるようになってきています。1978年WHOが採択したアルマ・アタ宣言では、「人々は個人または集団として自らの保健医療の立案と実施に参加する権利と義務を有する」と明記され、1986年のオタワ憲章では、患者・市民の「医療政策立案への参加」が提言されています。
医療政策のあり方は、国によって文化や歴史、政治経済状況が異なり、結果として、医療供給体制のあり方や医療費を支える医療保険等のファイナンスも国によって大きく異なります。近年は、政策においてもEBP(Evidenced Based Policy)が求められる時代でありますが、政策決定過程の産物でもある政策そのものには、普遍的・絶対的な正解がありません。政策評価が普及している欧米でも、政策の「価値」そのものの妥当性が問われることはありません。その代わり、政策評価では、VFM(Value for Money)と言って、投入した費用に見合う「価値」を生み出しているのかの検証が重要視されます。
本来は、「価値」に基づいて政策を科学的に検証し、改善を図るというのがあるべき姿かと思います。しかし、日本では、残念ながら、そもそも何が価値なのかが判断の拠り所となる哲学・理念がよくわからないところがあります。時に国民皆保険の持続可能性を維持することが、哲学・理念のように扱われることがありますが、厳密に考えると、国民皆保険の維持は、手段であって、目的ではないはずです。どのような医療を受けたいのか、そしてそれをどのように負担するのか、そうした「価値」を国民的に議論する時代になっているのではないでしょうか。
パッチワーク修正型の医療政策決定過程
日本では、1961年に国民皆保険を達成し、その後は、制度の拡充とその持続可能性の向上に向けてパッチワーク的な改正を加え続けてきました。ある意味、玄人によるパッチワーク修正型の政策決定過程でありますが、従来の制度の持続可能性を維持するのに少なからず貢献をしてきたと思います。
医療提供体制では、医療従事者側を代表する組織、ファイナンスでは、保険者・支払側を代表する組織、政治の世界では政府・与党、野党、官公庁では厚生労働省、財務省というように異なる利害構造を持った多数のステークホルダーがおり、一般国民からは分かりにくい複雑な政策決定過程の中で、それぞれの利害調整をベースに、有限資源である医療資源や財源の配分が決められてきました。国民的な価値について議論をする必要も感じられなかったかもしれません。
しかし、国民皆保険達成から60年以上の月日を経て、人口動態、雇用環境、家族構造といった社会経済構造も大きく変わると同時に、テクノロジーも含め医療のあり方も患者の価値観も変わっている中、こうした環境変化にこれまでのパッチワーク的な修正のみで対応しきれるのかは疑問の余地があります。「価値」不在ないしは哲学・理念が不明なままでも、資源、財源も含め拡大基調にある高度経済成長や人口ボーナス社会では良いかもしれませんが、玄人によるパッチワーク修正型の政策決定過程は、人口減少・高齢者の急増の2040年までを考えるとそろそろ限界ではないでしょうか。
患者・市民のエンパワーメント
玄人によるパッチワーク修正型の政策決定過程が繰り返された結果、本来は医療を受ける側でもあり支払う側でもある患者・市民の声は届きにくい状態になっていると思います。形式的には、特定組織へのヒアリングや、事後のパブリックコメントの募集などはあるかもしれませんが、公式に国民が政策決定過程に当事者として参加するという仕組みにはなっていません。ロビー活動や陳情等により特定の団体の声がまれに届くということはあるかもしれませんが、それをもって国民的な議論がなされたとは言えないでしょう。
より皮肉なのは、そもそもどのような声がどこにあるのかも分かりません。自分本位の過度な要求や理不尽な対応を求める「モンスターペイシェント」の大きな声のみが医療機関に響くということはあるかもしれませんが、それは政策決定過程で求められる市民・患者の声とは明らかに違います。
政策決定過程に患者・市民の声を届けるためには、サービスを受ける患者として、負担する市民としての両方の視点からエンパワーメント(保険医療分野で自律的な意思決定、行動変容ができる能力開発・権限付与)が何よりも重要になってくるでしょう。患者・市民のヘルスリテラシー向上が必要なのはいうまでもありません。
その上で、未来に向けた「価値」についてオープンな議論に参加できる「場」の設定が重要ではないかと考えます。患者・市民が、恩恵を受けるだけの受動的な立場、「お客様」ではなく、未来の医療の在り方を左右する医療政策を一緒に考え、つくり、支え、その責任を担う当事者として行動変容できるかどうかが問われる時代になってきているのではないでしょうか。
2022年5月2日掲載